RISA MASAKI THE HEALING LABORATORY スピリチュアルカウンセラー/スピリチュアライズアドバイザー 正木りさ ヒーリング研究室 公式ホームページ:トップページ
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2016.01.04
菅原道真公@
新年、明けましたが、皆様いかがお過ごしですか?

私は、初詣は世田谷区松原の菅原神社へ行きました。

実は、菅原道真公は、霊能力者だったのではないかとも言われています。


日本では、菅原道真公の建議により、遣唐使が廃止されました。

日本国内における造船技術の低下や、唐の衰退、留学環境の悪化等、遣唐使廃止には、様々な理由があったと言われておりますが、


菅原道真公は、
「海外から先進技術や文化を取り入れるのは素晴らしいが、そのため、国内において技術や文化の模倣ばかりが横行し、日本国独自の技術や文化の向上が見られなくなる危険性がある。遣唐使を廃止し、日本国土独自の国力の増強が必要だ」

との進言をしたとも言われています。

これが、まさしく、「スピリチュアリズム」の考え方と等しいのです。


また、諸説ありますが、かの素戔嗚尊も本来は実在の人物で、霊能力者だったという説もあり、紀元前の昔にこの国の王だったかもしれないのです。


そして、素戔嗚尊と、菅原道真公には様々な繋がりがあるようです。

菅原道真公Aに続く


2015.12.31
初詣について 最終回
「初詣について」も、最終回です。

お社の前で、神様にお願いをして、お社の前から離れる時は、
お社の中心(正中)から遠い足から一歩を踏み出します。

なるべくであれば、賢き方には足をむけたくないので、左足からです。

そして、お社をあとにし、ここでやっと、社務所に寄って、新しい年のために、御札を買ったり、ご朱印をいただいたり、御守りを買ったりと、思い思いに過ごしましょう。


ちなみに、神様のお札や、神棚、注連縄、四垂は、大晦日に神社でお焚きあげをお願いし、新年のために新しく買い揃えるのが、神道の考え方です。

神様が、これらの道具を使って一年かけて「邪気や穢れ」を吸いとってくださるので、

邪気や穢れをたくさん吸いとったこれらの道具を、
感謝と共に火でお焚きあげすると、
「邪気や穢れ」が煙となって天に登り浄化し、火花となって散って浄化し、原型を残さず灰になって浄化していくと考えられています。


そして、新しく揃えたお札、注連縄等をお祭りし、神様を迎える準備をします。


最後に、神社から帰るために、また鳥居を通るわけですが、

また、鳥居の前で、鳥居の上の龍神様に向かって、感謝のために一礼をし、
鳥居をくぐったら、振り返り、
神様、そして、神様のアンテナになっている神社全体に向けて一礼をし、
正中から遠い足から一歩を踏み出し、帰路につきます。

以上となりますが、
神社によって作法が違うので、
かしわ手の打ち方や、一礼の仕方等は、敢えてアップしませんでした。


それでは、よいお年をお迎えくださいませ。




2015.12.31
初詣についてF
それでは、お社の前で神様に向かいます。


神様へのお願い事をする前に、
ご自身のご住所、御名前を神様にお伝えしましょう。


これは、
神様は、宇宙のすべてを管轄していらっしゃるので、その管轄している存在の数は計り知れないから、わかってくださりやすいように

という説が一般的です。

しかし、スピリチュアリズムでは、少し違います。



神様はすべての始まりであり、すべてを掌握なされていないわけがありません。


ただ、我々が神様に向かうときに、
気が荒く、大雑把な思いのままだと、神様と波長が合いづらく、祈りが届きづらい。

だから、自分自身、
「我、ここにあり。私は○○に住む、○○と言うものです」と、真摯にお伝えすることで、
人側が唱えることに集中するので、気が整ってくる。

そうすると、波長が整い、神様と波長が合いやすく(まさに、「まつり」)、
神様へ祈りが伝わりやすいと考えられています(祈りを叶えてくださるかは、また、別問題です)。


それでも、神様はあまりにも高く、きめ細やかな存在なので、果たして人側の祈りが本当に伝わるのでしょうか。

ご安心ください。

私達は神様から生まれ、
神様から一度として切り離されたことはありません。

今でも霊魂として、霊的なエネルギーで神様と繋がり続けています。

そして、人間側から真摯なる祈りを捧げる時には、
高級霊である、人間側の守護霊が中継して神様により深く祈りを届けてくださると言われています。


お社の前で自分の名前、住所を伝え、
お願い事の祈りを捧げる。

そして、ここからが重要です。

その、お願い事を
【天に委ね、自分の心から手放し、天に任せる】
のです。

この世のことはこの世で努力し、
この世で済ませます。

でも、この世でどんなに努力をしても、
何を頑張っても、どうにもならない時は、
もう、神頼みしかありません。

自分ではどうにもならないこそ、
神様にお願いをし、自らは手放し、
後は神様に委ね、お任せする。

自らの心の執着を手放し、
その後の暮らしは真摯なる思いで努力を続け、天命を待つ。


神様からみて、与えられる時であれば与えられ、
与えられない時であれば与えられない、となります。

初詣についてGに続く







2015.12.31
初詣についてE
それではお社に向かいましょう。

ここで、奉納するお賽銭。

「賽」とは、
神からたくさんの幸せをいただいたので、感謝の気持ちを持って、神様をお祭りすると言う意味です。

どんどん今までのお話が繋がってきます。

農作物も何もかも、神様からの賜り物。

昔は、こういったことから、
お米等の農作物や、塩、お酒、漁で得たお魚等を奉納していました。


現代はお金が多いですね。


さて、その、お賽銭の金額のお話です。


当然、神様には欲はありませんので、
「○○円じゃないとだめだ!」とか、
「これじゃ安いじゃないか!」などと、思われるはずもなく、怒るわけもありません。


金額ではなく、
神様に感謝と畏敬の念を抱き、神に向かうことそのものに意味があります。


昔、農作物等を捧げたように、
お金じゃなくとも構わないわけです。

感謝と畏敬の念を抱き、自由に決めましょう。

初詣についてFに続く




2015.12.31
初詣についてD
さあ、いよいよ、神社に到着しました。

形式にとらわれず、感謝と畏敬の念を持って、おまいりしましょう。

スピリチュアリズムでは、鳥居には、龍神様がおり、
私達が鳥居のなかを通る際、
穢れを払い清めてくださると言われています。


そういう存在がいてくださったら、
本当にありがたい。

だからこそ、鳥居の手前で、
「どうぞよろしくお願いします」と、
一礼したくなるわけです。

そして、鳥居をくぐり、
穢れを払い清めてくださった存在に、
「ありがとうございました」、と、
感謝の念を抱き、鳥居を振り返り、一礼します。

さあ、神社に入ります。

でも、大切に思っている相手の正面に向かってズカスガと近づくのは、何となく気が引ける、、、
というわけで、お社の真正面は避けて、お社に向かって左側、もしくは右側を歩きます。

伊勢神宮以外は左側通行がほとんどです。

では、左側を歩くとして、
大切な方になるべく自分の足を向けたくないわけです。

だから、鳥居をくぐったら、左足から中にはいります。


さあ、次です。
初詣のために、自宅を出て、神社にたどり着くまで、外気に触れたり、物をさわったままの状態で、心から大切に思っている方にお会いする、、、
何となく、本能的に気が引けませんか?


手を洗って、口をゆすいでから、
大切な方とお会いし、お話をしたい、、、

そういった思いから「手水舎」があり、
そこで手を洗い、口をゆすぎます。

初詣についてEに続く


2015.12.31
初詣についてC
さて。
初詣の「作法」ですが、
スピリチュアリズムでは、「何事も動機、意図」といわれています。


日本古来から、
神様に対して「感謝」「畏敬の念」を抱いた上で行ってきた行動が、
積み重なり、形となって、現在の「作法」として定着していきました。

想像してみましょう。
あなた様が突然、非常に大きなショックな出来事に遭い、絶望感に満たされた時、
誰かに助けられたら?

心からの感謝がこみ上げてきませんか?
その時のあなた様は、どの様に体が動きますか?

私の場合は、
思わずひざまずき、頭を垂れ、自分の胸元で手を合わさずにはいられません。
誰に言われるまでもなく、自然にそうしてしまうでしょう。

そして、そこまで自分が「感謝」「畏敬の念」を抱いた方に対しては、
例えば、
@足を向けられない
A汚れた姿でお会いできない
Bこんなに素晴らしい方なら、沢山の方々を助けているだろう、私を覚えてくれなんて思うのは私の独りよがりだ、お会いしたら私の事をご説明しよう

等々、心から大切に思い、いかにして感謝の意を伝え、
実際の所、いかにして敬う思いを形に表すか、細心の注意を払って行動するでしょう。

そういった、「感謝」「畏敬の念」からくる行動が、「作法」となったわけです。

従いまして、
「感謝」「畏敬の念」を抱いた上で行動することが、一番大切なのです。
だから、「これが作法だから、こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけない」と、
細かいことを気にしすぎる必要はありません。

神様は、
私達が失敗しても、間違えても、怒ったり、責めたり、罰を与えることはありません。

神様は私達が「学びのために」この世に降りてきたことをご存知です。
なぜなら、元はといえば、神様が作ったシステムなのですから。

そして、私達がこの世で失敗したり、間違えたりすることで、学び、進化向上発展することを神様はご存知なので、
私達が失敗しても、間違えても、怒ったり、責めたり、罰を与えることは無いのです。

「感謝」「畏敬の念」の元、
初詣に行きませんか。

初詣についてDに続く


2015.12.30
初詣についてB
「お詣り」と、「お祭り」の語源を考察です。

「お詣り」の「まいり」
「お祭り」の「まつり」

どちらも「ま」が入っています。

6世紀に中国から日本に漢字の文化がもたらされる前、
日本には文字が無く「音」だけがあり、
その元々あった「音」に同じ意味の漢字が当てはめられたと、正史では言われています。

「ま」とフリガナで読める漢字は、
真、麻、摩、魔、、、等々。

そして、この「真」にご注目下さい。
「しん」とも読めますね。

「しん」とフリガナで読める漢字は、
真、新、深、心、信、神、、、、等々。

というわけで、「真」という漢字には、「神」という意味もあります。

要は、「ま」という音には、「神」という意味もあるのです。

だからこそ、「ま」とフリガナで読める「麻」という漢字が、
「神宮大麻(じんぐうたいま)」等として神道の世界で使われています。

さて、お話を語源に戻しましょう。

「まいり」とは、「ま」に「はいる」
祈りを目的として、ご神域に入っていくことが語源のようです。

実際、初詣は、「年籠もり」として、
家長が大晦日から元旦の夜が明けるまで、神社のお社に籠もる習慣が起源とされています。

まさに、「ま」に「はいる」、祈りを目的として、お社というご神域に入るわけです。

続いて、「まつり」とは、「ま」と人を「つりあわせる」
私達に全てを与えて下さる神様(ま)へ、感謝の祈りを捧げるため、
人が心身を清め、鎮め、神様の高い波長に合わせる(つりあわせる)努力をし、神様と交流していく努力をすることが語源のようです。

初詣についてCに続く
(続きは明日、アップします)




2015.12.30
初詣についてA
古神道の思想は、「自然神崇拝=アニミズム=多神教」です。


神様がいる。霊界がある。全ての存在は、元々、神様が生んでくださった分け御霊。


神様が生んで下さった御霊があるから、この世に体という形が作られ、そこに御霊が宿り、人となる。

それは人だけではなく、太陽も、月も、大地も、海も、河も、山も、動物等、全て同じで、神様が生んで下さった分け御霊があるから、この世に形が作られ、そこに御霊が宿り、太陽や月になる。


全ての存在が神様の分け御霊。

結果、全ての存在が神であり、多神教という思想になります。


自分自身の魂、御霊そのものは、神様からの賜りもの。

この世の全てが、神様からの賜りもの。

目の前の大地も、水も、農作物も、何もかも全て、神様からの賜りもの。

だからこそ、今、私は生きている。生かされている。

神様へ感謝の祈りを捧げずにはいられない。


そういった神への祈りが「お詣り」や、「お祭り」の原型となりました。

初詣についてBに続く




2015.12.30
初詣について@
まず、
神社に行くのが「お詣り」で、
お寺に行くのが「お参り」です。

それでは、日本人が何故「おまいり」に行くのでしょう?

それは、日本の元々の土着民俗信仰の「古神道」の思想から、自然発生したものと考えられます。

初詣についてAに続く


2015.12.29
「諦める」イコール「思い切る」
今、ふいに「諦めるとは?」というキーワードが思い浮かびました。


私はこういった場合、自分の思い込みや、霊界通信だけで全てを推し量ることはしません。


まず、
「この世では、どの様な解釈となっているか?」

と、この世における情報を確認するため、インターネットや手持ちの辞書等で調べます。


これはスピリチュアリズムの考え方でもあります。


霊能力者が通訳として霊界に使っていただいた結果の霊界通信は、
当たっていても60パーセント。


霊界通信に限らず、人間の思い込みも、結局は、当たっていても60パーセントなのです。

だからこそ、自分の思い込みや、記憶のみでは決めつけず、
常に、「現実はどうか?」を確認します。


そうすると、自分の偏った思考回路や、記憶内容に間違いがあることに気がつけたり、
新しい発見に出会える機会が増えます。


今日も、はっとさせられた出会いとなりました。

私の記憶では、「諦める」という日本語は、
未来への希望を持って努力し続けていたことを、やめる、
要は「希望を捨てる」意味のみに捉えていました。勉強不足もいいところです。


「諦める」には、
もう一つ、「思い切る」という意味があることを、今日知りました。

この、「思い切る」という意味が、スピリチュアリズムの考え方と非常に一致しており、唸ってしまうほどでした。


私達がこの世に生まれてきた理由。

それは「学び」の為ですが、霊魂は永遠の進化向上をしますから、
学びの内容が無限であり、宇宙規模です。

この場で、更に有限である活字で全てを語り尽くすことはできません。


ですので、今日は学ぶ内容の一つをご説明します。


神様は完璧です。
神様は間違いは犯しません。

だからこそ、人として学ぶために生を受けた私達も、
完璧なる神様の意図によって生み出されました。


同じ個性、価値観を持っている人はいません。
好き嫌い、得手不得手等、皆、違います。


人は、
@本当は何を「幸せ」に思うか
A本当は何を「良し」と思うか
B本当は何を「不幸」に思うか
C本当は何を「悪い」と思うか

皆、全員違うのです。


そして、霊魂として学びとしてこの世に降りてきて、肉体の中に入ると、
霊魂としての霊能力が40パーセントおさえられてしまうので、

上記@〜Cを、霊魂として潜在意識では覚えていますが、
表面的な顕在意識では忘れてしまいます。

結果、
「これが正しい!」と自分の思い込みで突き進んで行ってみても、
40パーセントはずれるので、行ってみて初めて違うことに気がついたり、

「この人が一生の相手だ!」と自分の思い込みで突き進み結婚しても、
40パーセントはずれるので、結婚した後に違うことに気づき、離婚する場合があるのです。

この世において、人間は、実際にこの手で触れ、実行し、経験していくことを通じて、
自分にとって
@〜Cが何なのかを、確認することができるというシステムを神様が作りました。

だからこそ、
この世では、皆が間違えるのです。皆が失敗するのです。
間違えたことで、間違いを知り、失敗したことで、失敗を知り、
本当は何を求めているのか、己の道は何なのか、気づくことに至ります。

「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」のごとし、
様々な経験を積んでいけば、必ず、己にとっての真実に出会え、己にとっての真理を悟ります。


しかし、「間違えたくない」「失敗したくない」という思いが先行すると、
実際にその道は本来の己の道ではないのに、「諦められず」その道にしがみつく。

その執着を断ち切ること、すなわち、「諦め」イコール「思いをたち切り」、別の道を探す。

人間として肉体をまとっているからこそ、
私達は間違えますし、失敗をするのです。

間違えること、失敗をすることは当たり前。

どんどん現実に触れ、確認し、間違えたり、失敗しながら、
ご自身にとっての真実を探し、ご自身の真理を一つ一つ大切にしましょう。

参考/https://kotobank.jp/word/%E8%AB%A6%E3%82%81%E3%82%8B-423240



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